求人票を眺めているとき、給与欄に「固定残業代を含む」という文字を見かけたことはありませんか。あるいは「みなし残業手当」という言葉で記載されているかもしれません。転職活動において、この項目は非常に重要な意味を持ちますが、正しく理解していないと思わぬ落とし穴にはまってしまう可能性があります。
2026年現在、働き方改革が進み、労働時間の透明性はかつてないほど重視されています。しかし、依然としてこの固定残業代の仕組みを悪用し、従業員に不当な労働を強いる「ブラック企業」が存在するのも事実です。
本記事では、固定残業代の正体と、それがいかにして悪用されるのか、そして自分を守るために何を確認すべきなのかを徹底的に解説します。あなたのこれからのキャリアを守るための知識として、ぜひ最後までお読みください。
固定残業代(みなし残業)の基本的な定義
まず、固定残業代とは何かを正確に理解しましょう。これは、実際の残業時間の長さにかかわらず、あらかじめ決められた一定時間分の残業代を、毎月の給与に含めて支払う制度のことです。
例えば、「月45時間分の固定残業代として8万円を支給する」といった契約がこれに当たります。この場合、その月の残業が0時間であっても10時間であっても、労働者は一律で8万円を受け取ることができます。会社側にとっては、毎月の残業代計算を簡略化できるという事務的なメリットがあり、労働者にとっては、残業が少ない月でも安定した収入が得られるという建前上のメリットがあります。
しかし、ここで最も重要な法的なルールがあります。それは、あらかじめ設定された固定残業時間を超えて働いた場合には、会社はその超過分を別途支払わなければならないということです。もし「45時間分を含んでいるから、どれだけ働いてもこれ以上は出ない」と言われたら、それは明らかな労働基準法違反です。
厚生労働省が公表している「労働条件に関する指針」でも、固定残業代を採用する際には、金額や対象となる時間数、超過分の支払いについて明示することが義務付けられています。この基本を知っているかどうかが、ブラック企業を見極める第一歩となります。
なぜブラック企業は固定残業代を好むのか
ブラック企業が固定残業代という制度を好んで採用するのには、明確な理由があります。それは、見かけ上の給与を高く見せかけ、かつ労働力を際限なく搾取するための隠れ蓑にしやすいからです。
彼らの常套手段は、基本給を極端に低く設定し、多額の固定残業代を上乗せすることで、月給の総額を他社並み、あるいはそれ以上に見せることです。求人票に「月給30万円」とあっても、内訳を見ると「基本給18万円、固定残業代12万円(80時間分)」となっているケースがあります。
このような構成の場合、労働者は「自分は月給30万円の仕事をしている」と錯覚しますが、実際には時給換算すると最低賃金ギリギリ、あるいはそれを下回っていることすらあります。さらに、80時間という過酷な残業がデフォルトとして組み込まれているため、精神的・肉体的な負荷は計り知れません。
さらに、彼らは「超過分の未払い」を確信犯的に行います。固定残業代を支払っていることを免罪符に、それ以上の残業代を請求させない空気感を作り出すのです。これは心理的な支配の一種であり、制度の悪用に他なりません。
ブラック企業による固定残業代の悪用パターン
ここで、実際にどのような悪用が行われているのか、具体的なパターンを見ていきましょう。
一つ目は、固定残業代の金額や時間が不明瞭なパターンです。求人票や雇用契約書に「給与には残業代を含む」とだけ書かれており、それが何時間分なのか、いくらなのかが明記されていないケースです。これは裁判例でも、固定残業代としての有効性が否定される可能性が高い不適切な記載です。
二つ目は、基本給を削って固定残業代に充てるパターンです。昇給があったとしても、基本給は据え置かれ、固定残業代の枠だけが増えていくような仕組みです。基本給はボーナスの算定基準になることが多いため、基本給が低いままだと、見かけの月給が高くても年収ベースでは損をすることになります。
三つ目は、固定残業代を役職手当や業務手当という別の名前で隠蔽するパターンです。名目上は残業代ではないように見せかけつつ、実態としては「この手当を出しているから残業代は不要だ」と言い張る手口です。これは名ばかり管理職問題とも共通する、非常に悪質な手口です。
ここで、ブラック企業がよく使う言い訳や不適切な運用の例をまとめます。
残業代込みの年俸制だから、どれだけ働いても給料は変わらないと説明する
固定残業時間を超えた分を請求しようとすると、能力不足だから時間がかかったのだと責める
タイムカードを固定残業時間の範囲内で打刻するように強制し、記録を残さない
営業手当や役職手当にすべての残業代が含まれていると主張し、超過分を支払わない
これらの行為はすべて、労働者の権利を侵害するものです。
2026年の労働市場と固定残業代の現在地
2026年現在、労働力不足は深刻化しており、企業は人材を確保するために、より透明性の高い情報開示を求められています。職業安定法の改正などにより、求人票における固定残業代の記載ルールは厳格化されました。
しかし、ルールが厳しくなったからといって、悪質な企業が消滅したわけではありません。むしろ、表面上の記載だけを取り繕い、入社後に実態を露呈させるような、より巧妙な手法へと進化している側面もあります。
例えば、フルリモートワークを導入している企業において、みなし労働時間制と固定残業代を組み合わせ、実労働時間の把握を有耶無耶にするケースが増えています。在宅勤務だから自己責任という言葉を盾に、深夜や休日まで際限なく連絡を取り、労働を強いるのです。
一方で、優良な企業は固定残業代を「生産性向上へのインセンティブ」として活用しています。早く仕事を終わらせて残業をゼロにしても、固定残業代分は全額支給されるため、効率的に働く動機付けにしているのです。このように、制度自体が悪なのではなく、それを運用する企業の姿勢が問われています。
自分の身を守るためのチェックリスト
転職を検討している皆さんが、ブラック企業に捕まらないために確認すべきポイントを整理します。契約書を交わす前、あるいは面接の段階で、以下の項目を鋭くチェックしてください。
まず、雇用契約書や就業規則に、固定残業代に関する明確な規定があるかを確認します。具体的には、通常の労働時間の賃金にあたる部分と、固定残業代にあたる部分が判別できること、そして固定残業代の対象となる時間数と金額が明記されていることが必須条件です。
次に、その金額が適正かどうかを計算してみましょう。固定残業代を時間数で割り、算出された金額が地域の最低賃金を下回っていないか。もし下回っていれば、その契約自体が違法です。また、設定されている時間数が「月45時間」を大きく超えている場合、それは慢性的な長時間労働を前提とした職場である可能性が高く、三六協定(時間外・休日労働に関する協定)の観点からもリスクがあります。
さらに、超過分の支払い実績について質問してみるのも有効です。面接で「固定残業時間を超えてしまった場合、別途支給されるという認識でよろしいでしょうか」と丁寧に確認した際、面接官が言葉を濁したり、不快な表情を見せたりする場合は要注意です。
ここで、入社前に必ず確認すべき契約内容の要点を挙げます。
固定残業代の金額、対応する時間数、および計算の基礎となる基本給の明確な区分
固定残業時間を超えて勤務した場合の、超過分を別途支払う旨の明文規定
求人票に記載されていた給与条件と、提示された労働条件通知書の記載内容に相違がないか
賞与の計算式において、固定残業代が含まれない基本給のみがベースになっているか
これらの確認を怠ると、入社後に「こんなはずではなかった」という後悔につながります。
もし、悪用されていることに気づいたら
すでに現在の職場で固定残業代の悪用に悩んでいる、あるいは転職先でトラブルに巻き込まれてしまった場合、どのように対処すべきでしょうか。
最も大切なのは、客観的な証拠を収集することです。ブラック企業は「残業などさせていない」「本人が勝手に残っていただけだ」と主張することが多いため、実労働時間を証明するデータが必要になります。タイムカードのコピーはもちろん、PCのログイン・ログオフ履歴、業務メールの送信時刻、上司からの指示が残ったチャットログ、さらには毎日の業務内容を記したメモや日記も証拠としての価値を持ちます。
証拠が集まったら、まずは社内のコンプライアンス窓口や人事部に相談するのも手ですが、ブラック企業の場合は自浄作用が期待できないことも多いでしょう。その場合は、労働基準監督署や弁護士、労働組合などの外部機関に相談することを検討してください。
2026年現在は、労働問題に特化したリーガルテックサービスも充実しており、スマートフォンで日々の労働時間を記録し、未払い残業代の概算を自動で算出できるアプリなども普及しています。法的な手続きを検討するハードルは以前よりも下がっています。
ただし、会社と戦うことには大きなエネルギーが必要です。心身の健康を損なう前に、もっと環境の良い企業へ「逃げる」転職をすることも、立派な解決策の一つです。あなたの価値を正当に評価し、ルールを守って運営されている企業は他にいくらでもあります。
実例から学ぶ:固定残業代の罠に陥ったあるエンジニアの物語
ここで、私の知人であるITエンジニア、Aさんの事例を紹介しましょう。彼は転職活動中、あるベンチャー企業から「月給40万円、固定残業代含む」という条件で内定を得ました。当時のAさんは、40万円という数字に目を奪われ、内訳を深く確認せずに入社を決めてしまいました。
入社後、渡された給与明細を見てAさんは驚きました。基本給はわずか22万円で、残りの18万円が「職務手当」という名目の固定残業代だったのです。しかも、その手当に対応する残業時間は月80時間に設定されていました。
現場は常に炎上しており、Aさんの月間残業時間は100時間を超えるのが当たり前でした。しかし、会社側は「18万円も手当を出しているんだから、少々の超過は我慢しろ」と、超過分の支払いを一切拒否しました。結局、Aさんは時給換算すると以前の会社よりも低い賃金で、倍以上の労働を強いられることになったのです。
幸い、Aさんは日々のPCログを保存しており、労働組合の助けを借りて会社と交渉し、最終的には未払い分の残業代を勝ち取って退職しました。しかし、この経験で彼は深刻な体調不良に陥り、再就職までに半年以上の時間を要することになりました。
この事例から学べる教訓は、総額の高さに惑わされず、必ず内訳と時間数を確認すること、そして少しでも疑問を感じたらその場で解消することの重要性です。
正しい知識があなたのキャリアの盾になる
固定残業代という仕組みそのものは、決して悪ではありません。しかし、それを運用する側の倫理観によって、労働者を守る盾にもなれば、労働者を縛り付ける鎖にもなります。
転職を成功させるためには、職種やスキルのマッチングだけでなく、こうした雇用契約の細部に対するリテラシーを高めることが不可欠です。ブラック企業は、知識のない労働者を狙っています。逆に言えば、あなたが正しい知識を持ち、毅然とした態度で条件を確認することができれば、彼らはあなたを騙すことができなくなります。
2026年の日本において、働く場所を選ぶ権利は私たち労働者の側にあります。労働力人口が減少する中で、人を大切にしない企業は淘汰される運命にあります。あなたは、自分を大切にしてくれる、誠実な企業を選ぶ権利と義務があるのです。
求人票の裏側に隠された意図を読み解き、自分の市場価値を不当に貶められないように注意してください。固定残業代の仕組みを正しく理解することは、単にお金の問題ではなく、自分の人生を自分でコントロールするための第一歩なのです。
最後になりますが、もし今、固定残業代の仕組みに不安を感じているのであれば、その直感を大切にしてください。違和感の正体を確認し、確信を持って働ける場所を探す努力は、決して無駄にはなりません。
ここで、不当な労働環境から抜け出し、健全なキャリアを築くためのステップを提案します。
現在の給与明細を確認し、基本給と手当の比率を再計算する
実労働時間と支給額を照らし合わせ、時給換算で自分の価値を客観視する
信頼できるキャリアアドバイザーや専門家に相談し、市場の標準的な条件と比較する
証拠保全を習慣化し、万が一の時に自分を守れる準備を整えておく
あなたのこれからの転職活動が、より豊かで納得感のあるものになることを心から願っています。